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立川基地と昭和記念公園

 休日を利用し春の気配ただよう昭和記念公園に散歩に行きました。
  ここは昭和天皇の在位50周年を記念して作られた公園で130ヘクタールという広大な敷地を誇っています。 また四季折々の花やスポーツ施設、夏には流れるプールやバーベキュー施設などがあり、休日になると大勢の子供たちや家族連れの方々で賑わいます。
 この公園は近年まで立川飛行場として使われていました
。 この立川飛行場の跡地は日本政府に返還後40年近くたった今でも飛行場敷地の西側部分の利用目的が決まらず、いまだに荒地となっています。

昭和記念公園玄関口
昭和記念公園 玄関口
一面の菜の花畑
一面の菜の花畑(みんなの森)
 立川飛行場は日本が軍国主義に突入した時代に帝都防衛の航空基地として作られました。
  民間の空港としても一時利用されたそうですが、羽田に東京飛行場(現東京国際空港)が開港するのに伴ない、陸軍専用の空港として陸軍の航空研究、開発、製造の一大軍事拠点として役割を濃くして行きます。

  太平洋戦争末期にはここ立川基地から特攻隊が編成され、多くの少年飛行兵がアメリカ機に体当りしはかない青春を空へ捧げました。
  日本の敗戦に伴ないアメリカ軍に接収され米空軍立川基地(米軍名フィンカム基地)となりました。
こぶしの花満開
こぶしの花満開 (2007.3.21撮影)
 その後米軍は滑走路が短くジェット機の離発着ができない立川飛行場の延長を画策。基地北側の砂川町に滑走路を拡張しようとしますが、これに反対する地元地権者と激突。有名な砂川事件に発展します。
 拡張に失敗した米軍は、代替案として立川飛行場の付属飛行場であった多摩飛行場 (現横田基地)に滑走路を1,300mから3,350mに延長し、兵員施設を整えた拡張計画を実施、1969年移駐を開始、立川飛行場は事実上閉鎖します。
 1977年に日本政府に返還後、東側は陸上自衛隊駐屯地のほか海上保安庁・警視庁・東京消防庁など各官公庁の施設と防災基地などを建設、立川市役所の移転も決まり現在に至ります。
  このように現在立川基地跡地は都民の憩いの場としての役割を果たしていますが、過去の激動した戦争歴史の上に今日があり、今日の幸せを感謝することを忘れてはならないと思いました。

新緑の春
新緑の昭和記念公園
 
2007.03.26配信
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